夕空ブログ

なんとか生きていく

コミュニケーション

頭の中に存在している考えを、人はどのくらい他人に伝えられるのか。

人と話していると、「果たして、今話していることは、本当に自分の話したいことなんだろうか?」と思うことがある。

それだけでなく、こういうブログやら、もっというと紙に自分の考えをまとめる等、ごく私的なことでも自分の考えを現すことが出来るのか?

それは単に具象化という面だけでなく、例えば私の場合は、

話しているなら、相手に合わせたり。

ブログなら少なからず「もし誰かが見ていたら」と思ったり、

私的な日記やメモ書きさえ自分の中の別の自分に問いかけたり、、という具合になってしまって、どうもフン詰まった感じが残ってしまうのだ。

 

会話だと相手に合わせて、音を出すという行為を行なう。

筆記だとその文章を読むだろう自分もしくは、他人に合わせ文字を書く。

そこに自分の意思なり考えなりがあるのか? 

 

では、受け取り手はどうだろうか?

相手の発言をただの音だと、人の文章をただの文字だと思うものなのか?

 

文章も発言も受け取り手の状態次第で、音なり文字となってしまうのではないか?

 

コミュニケーションとはそういうものだろうか?

もしそういうかなりいい加減で曖昧なものを重要視する意味はあるのか?