夕空ブログ

なんとか生きていく

回避について(2)

 回避性不安障害である私にとって新しい事に取り組んだり環境が変わったりということは、とてつもない疲労を伴うものであります。

 

 それがどんな些細な事であれ、調べてイメージトレーニングをして安全・安心を確信できなければ行えません。「やっぱりやめとこう」となってしまいます。

 

 一般的には喜ばしい昇進などももちろん断りますし、もう被害妄想的になってた時は役が変わるわけでなく労働条件が良くなるだけなのに断ったりと、自分でも理解できないのですがとにかく全てから逃げてしまうのです。

 

 それ以外にも例えば電車でどこかに行くのでも、いつでも降りれるように各停を選びますし、そもそも電車でどこかに行くこと自体が、今の私の場合は2,3年に一度くらいしかありません。

 

 また物を買うときも失敗したくないのでかなり下調べをしますし、失敗するのが嫌で買わないという選択をしたりもします。

 

 休みの日も家事をして、余った時間は水を飲みながら音楽などを聴いてるだけで満足できます。何もしないというのが気楽です。

 

 そんな自分を嫌いになったり変えたいと努力したこともありますし、今もできる範囲ではやってるつもりでありますが、基本的にはもう自分はこういう人間なんだと折り合いをつけるしかないなあ、という感じになりました。年をとったせいかもしれませんが、自分だけは自分を嫌わないようにしようという感じにもなってきました。

 

 ただ、個人的には10代20代の若い方で回避性不安障害の方で苦しんでいたら、今は病院なども多いですし治療などにチャレンジするのもいいんじゃないかと思います。

 私が若いころは、パーソナリティ障害や精神障害などに精通した医者、心療内科などは少なかったですし、今みたいにネットで細やかな情報も入らなかった時代だったけれど、今は情報も多いですし昔よりは環境的に治しやすくなっているのではないかと思います。

 

 私は認知療法に取り組んで、よくある7つのカラムとかそういったワークを自分で本を買ってやってますが、「逃げるというところで逃げずに前に進む」・「逃げずにとどまる」などがどうしても今まで乗り越えられていません。

 これは人生が続く限りの課題みたいなものになるのでしょうが、これを乗り越えるには自分以外の力というのが必要なのではないかと思いました。

 そもそも、それを自力で乗り越えられる人は回避性不安障害などでずっといられないようにも思います。

 なのでそういう自分以外の何かを死ぬまでの間に見つけられるようになればと思ってます。